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🔖 突然の金崎 満さんの逝去を悼む…

東京都障害児学校退職者「憲法九条の会」事務局

藤谷 浩(元七生養護学校)


 私たちは、2004 年 6 月の九氏の呼びかけに呼応して、東京都障害児学校退職者「憲法九条の会」を立ち上げました。会員は現在およそ 250 人を擁しています。2 カ月に一度「九条の会ニュース」を発行し、1 年に一度「みんなのつどい」を開催して学び合う機会もつくっています。金崎さんはその事務局のリーダーとして、全国や都の情報を収集しながら、みんなと活動し続けてくれました。

 

 ところが今年の 7 月 15 日の

「みんなのつどい」を前にして突然の悲しみがおきてしまいました。

 14 回目の今年つどいは、「許すな 空前の大軍拡と生活破壊! 」をテーマに、八王子の弁

護士白神優理子さんを講師に迎え、大軍拡が進められる状況の中で、日本国憲法がいかに

私たちの希望になるかを学ぶつどいになりました。

 その金崎さんが、つどいの前々日の 13 日に急逝してしまいました。驚きと、大きな悲しみに包まれてのつどいの開会になりました。参加者は、金崎さんへのそれぞれの想いを込めながら全員で黙とうを捧げ、つどいの成功を決意しました。


 6 月初旬、足にリンパ腫が出来て手術のため入院するとの連絡を受けて驚きました。本人はいたって元気で、つどいまでにはもちろん退院して一緒に準備するつもりでいたようです。一旦は退院しましたが、20 日には水分補給と腎臓負担軽減の点滴の為に、再入院したとの連絡がありました。コロナ渦で面会もままならず 、妻の文子さんも、なかなか本人の細かい様子が分からず苦労されたようです。6 月 30 日には本人から電話が入り「一緒に準備できなくて悪いね、事務局のみんなによろしく」と話してくれました。まさか、これが私との最後の会話になるとは思いもよりませんでした。

 7 月に入り、信じられないくらいの速さで様態が悪化していったようです。11 日には「集中治療室へ入った」12 日には「心肺が停止しマッサージで蘇生している」と文子さんから連絡が入りました。私も困惑しながら、何かにすがる気持ちで奇跡を願うしかありませんでした。懸命な治療が続けられるなかで、7 月 13 日午後 6 時、敗血症性ショックによる多臓器不全で尊い命が失われてしまいました。75 歳でした。

 多くの方々にこの悲しみをお知らせしなければなりません。そしてどれほど多くの人た

ちが、在りし日の金崎さんの思い出とともに、哀悼の意を捧げてくださることでしよう。


まだ、やりたいことをいっぱい残したまま…

「ここから裁判」 「金崎裁判」を経て退職した後、彼は大学での障害児教育講師を続けながら、日本で唯一の手話法教育のろう学校「明星学園」講師もやり、今は板橋区発達障害者支援センターの相談員として、後期高齢社会のためにも社会福祉の勉強をやりたい、と言っていたばかりでした。やむことのない探求心の持ち主でした。

 金崎文子さんは、今年 4 月まで 8 期 32 年の日本共産党板橋区議を務め、後輩にその道を

譲ったばかりです。やっと二人でこれからの人生をゆっくり過ごすことが出来るようになったのに。旅先で「お嬢さんと一緒でいいですね」と、また言われるかもしれないのに。


七生養護学校が攻撃された二つの理由

 2003 年の「七生養護学校事件」から 20 年が経ちました。七生で「こころとからだの学習」が全校で取り組まれた背景には、それを育むだけの学校運営があったからです。1998 年 4 月に金崎さんが初めて校長として七生に赴任しました。石原知事のもとで強引に学校の管理統制が強化され、それに従順な管理職が増える中で七生も同様に抑圧的な学校運営が続いていました。その学校が、 『教師と子ども、保護者・地域住民との共同関係を大切にし、職員会議を中心とした「合意と共同」を基本にし、「憲法と教育基本法の精神に基づいて教育を行う学校」』を掲げ、実践してきた金崎校長によって大きく変わっていきました。生徒も教職員も保護者もみんな大好きな学校になりました。

 「こころとからだの学習」が、性教育バッシングの標的として攻撃されたことと同時に、七生のこのような学校運営は、まさしく彼らの意図する学校とは真逆な学校として攻撃され、潰さなければならない学校となったのです。


金ちゃんは「不死鳥」と言われていたのに…

 七生事件のあと、彼は 2004 年に胃に悪性腫瘍が見つかり 3 カ月の入院、全摘手術を経て半年後には肝臓にも腫瘍が見つかり一部切除、と二度も入院してしまいました。18%の生存率だったと医者に言われたそうです。初めて見舞いに行った時、痩せたばかりか眼の色が緑色になっているのに驚き、言葉もありませんでした。処分を受け、研修の強制などでの大変な心労が、彼の体を蝕んだのではないかと私は思っています。しかし 06 年の金崎裁判までにはゆっくり回復し、元気に裁判に立ち向かいました。私たちは誰ともなく言いました「不死鳥!」と。もう一度「不死鳥!」と呼びたかった。


 まだみんなと一緒にやらなければならないことがたくさんあったのに。


 権力によって中断させられた性教育を取り戻し、ひとり一人の人権を守る「包括的性教育」を全国に広めるために。


 9 条を守り、子どもたちに青い空をそのまま残すために。



「金ちゃん」「タニさん」と呼び合って 50 年、まだまだ一緒に呑みたかった。


ありがとう金ちゃん 私たちとの長い友情に感謝 そして さようなら


包括的性教育推進法制定をめざすネットワーク

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