学校経営アドバイザーだけでなく、東京都からの毎日数名の教育委員が来校し、性教育だけでなく、学校内での教員たちの様子や発言が見張られているような日々。教員や保護者たちの思いを聞いてもらいたと伝えても、そんな時間は作ってもらえません。やり取りもせずに、決めつけ断罪するやり方に怒りしかありませんでしたが、学校の中だけでは闘いきれないとも思うようになっていきました。私たちは、保護者とも協力し合いながら日野市(七生養護学校は東京都日野市にありました)の中に、今起こっていることの事実を広げていく活動に取り組みました。弁護士さんたちとの出会いも、そこから始まりました。
また、組合や様々な団体に実情を広げる努力もしました。民主的と思われる団体や会の学習会にも参加させていただき、訴えました。「どう聞いても、やりすぎだったのでは」と言われたことも何度かあり、性教育そのものが社会的にはまだ閉じられているものなのか、と驚きました。その意味では新たな出会いがあると同時に「性」に関する社会の脆弱さにも気づかされるという日々でした。でもやり取りすることの中で、怒りを共有することはできたと思っています。
「性教育」攻撃に対し、ともに闘うつながりができ、2003年12月22日には「子どもの教育を受ける権利」「教育の自由の権利侵害」を認めてもらうため、東京弁護士会に人権救済の申し立てをしました。短時間の中でしたが、8125名の賛同者の方の力を得たことは、自分たちだけの問題ではないことの確認につながったと思います。東京弁護士会は1年をかけて丁寧に調査をし、2005年1月24日都教委に対して次のような警告を出しました。
都教委は、子どもの学習権、教師の教育の自由を侵害した。
教材をもどし、教育内容・方法の原状回復を図ること
不当な介入をしてはならない!
しかし、都教委は何の反応も出さず、全く無視したのです。
4か月後、2005年5月12日 私たちは、東京地裁に提訴に踏み切ったのです。こ
の時にはすでに多くの教員が七生養護学校からは転勤させられ、バラバラの状態でした。異動した学校によっては、管理職から嫌がらせや、圧力をかけられている教員が何人もいました。何とか連絡を取り合い、周りの方たちに力をいただきながら提訴の道に進んでいったのです。