自由の風が吹いてこそ教育は発展する
2024年1月に、奈良教育大学附属小学校の授業が不適切・法令違反ではないかという報道がなされ、奈良教育大学より「奈良教育大学附属小学校における教育課程の実施等の事案に係る報告書」(2024年1月9日付け、同年1月17日公表)が発出され、1月19日には文部科学省が附属学校を設置する国立大学法人に対して、今年度中の確認・点検等を要請する通知が出されました。
同大学付属小学校で実施していた子どもの現状と学びのニーズに即した教育課程が学習指導要領に照らして「不適切」として、同小学校の教員を大量に他校に出向させようという方針が示されています。さらに現時点においては、「人事交流」という名目で、同校教員を強制的に「出向」させる方針を発表しています(後述)。
しかし、同付属小学校の教育実内容は、「『子どもの実感』をとても大事にしている授業。子どもの『わかり方』とか『感じ方』を、しっかりつかんで指導されている。それができているからこそ、子どもたちを中心にして教育課程の工夫ができています。子どもたちの実感を先生方がつかむ努力だけでなく、自分の実感を言語化するように子どもたちを励ます指導をされています。それによって子どもたちは、自分の意見を述べ、話し合うことで、理解を深め、納得できています」奈良教育大学付属小学校編、川地亜弥子(神戸大学)解説『みんなのねがいでつくる学校』クリエイツかもがわ、2021年)と、付属小学校の特徴をまとめています。
教育実践には、教職員集団の研究的実践と実践的研究の両輪が求められます。そのためには創造性をゆたかにはぐくむ環境と条件が必要です。教職員集団のなかで自由な議論が生き生きとできることで、教育課程が時代と子どもたちの学びの要求に応えられる展望を拓くことができるのです。その点からも管理職を含めて教職員集団として真摯に議論する教育現場に自由の風が吹いていることが求められているのです。生徒たちもそのさわやかな風をいっぱい胸に吸いこんで、のびのびと学校生活を楽しむことができるのではないでしょうか。
これまで積み上げてきた奈良教育大学付属小学校の運営と教育実践のゆたかさを守り発展させるための努力こそいま求められているのです。
強制的「出向」=処分であることは明白です
2月29日、奈良教育大学 学長 宮下俊也名で公表された「奈良教育大学附属小学校教員の人事交流について」では、「奈良県内の公立学校及び奈良女子大学附属学校との教員人事交流を実施」するものであり、「本校からの異動は「出向」として他校等で研鑽を積むことを目的とするもので、今回の事案に係る処分ではありません」と説明しています。
しかし、1月17日の「奈良教育大学附属小学校の教育課程に関する不適切事案のお詫び及び報告書について」では、宮下学長は「正義を教え尊ぶ教育機関であり、さらには将来の教師を育成する教員養成大学附属学校でありながら、その使命と責任を果たすことができなかったことは、学長として慙愧に耐えません」とまで表明し、同付属小学校の小谷隆男校長は「保護者・児童の皆様の信頼を失うことになってしまいましたが、今後は、法令遵守を心掛けることを大前提とする中で、職員一丸となって地域のモデルとなるような研究を進める優れた小学校をめざし、一から努力を重ね皆様の信頼を取り戻す所存です」という表明をしています。同付属小学校の教職員集団が「法令順守」を大前提としていなかったという校長としての判断があることを述べています。
なお、こうした声明を公表した小谷校長が「本校の教員は子どもに対して実に丁寧にきめ細かく指導していたことは間違いなく、驚くほど前向きに自分の言葉で話せる児童が多いことも事実です」と表明していることも申し添えておきます。
こうした態度表明を読んでも、同校教員の「出向」が「今回の事案に係る処分」ではなく、「『開かれた学校』『開かれた教育課程』『多様性と包括性』を実現させる」ための「人事交流」であるとは到底理解できるものではありません。
七生養護学校事件を繰り返させてはならない!
今回の出来事は、学校現場の協同的な運営と創造的な教育実践を一方的に否定するという点で、七生養護学校事件と本質的に共通しています。
2003年7月、東京都議会で突然、土屋都議(当時)から「公立学校における逸脱した性教育」が行われているという質問があり、「からだうた」の歌詞などを取り上げて、七生養護学校の性教育に対して、集中的な攻撃が加えられました。七生養護学校の「こころとからだの学習」を「過激性教育」とレッテルを張り、校長も含めた教職員と保護者が協力して創ってきた性教育を破壊したのです。それは性教育だけでなく、子どもと真摯に向き合い、教職員集団として話し合いを繰り返すことを大事にした学校づくりそのものを壊しました。
その実践内容は、過去に校長会・教頭会で2年度に渡り報告し評価されてきた実践でした。そうした事実があるにも関わらず、突然、土足で現場に介入し、教職員、保護者、子どもたちとのやり取りもなされないままに「不適切教育」のレッテルが張られたのです。その後も強権的で一方的な管理が進み、翌年には希望をしない教員も含め1/3が異動となり、3年後にはほとんどの教員が他校に配置転換されるという事態になりました。民主的な学校運営を壊すことを、石原都政と都教委は画策してきたのです。本ネットワークの目的のもとに参集している会員の多くは、「包括的性教育をすべての子ども・若者者とともに、あらゆる年齢」(「会則」第3条)の人たちのなかで花開かせることを願って学習と運動をすすめてきました。同時に包括的性教育を発展させる基盤としての学校づくり、社会環境の改善にも努力してきました。
今回の出来事と本質的に共通する強権的な教育現場への介入に対して、「こころとからだの学習裁判」(2003年7月4日に、都立七生養護学校(当時)に3名の都議、都教委が「視察」を理由に、性教育の内容と学校運営に介入したことに裁判が行われた。詳しくは、本ネットワーク編『なぜ学校で性教育ができなくなったのか 七生養護学校事件と今』あけび書房、2023年を参照)として10年にわたって闘ってきました。
2011年9月16日、東京高裁判決は、原判決(東京地裁)に続いて、七生養護学校の教育に介入した都議の行為と、それを黙認し、多くの教員に厳重注意処分を発した都教委の行為を違法として損害賠償を命じた判決を言い渡しました。判決は、学習指導要領について、基準性を拡大して、「一言一句が拘束力すなわち法規としての効力を有するとすることは困難」として、「教育を実践するものの広い裁量」を強調し、学習指導要領について「教育現場の創意工夫に委ねる度合いが大きいと解することができる」と述べています。2013年11月28日に、最高裁で、上告の受理申立てを棄却する決定を行い、三度目となる原告勝訴判決が確定したのです。
最高裁で確定した判決内容にも奈良教育大学附属小学校の教員の強制的な「出向」「人事交流」の方針は、七生養護学校事件の判決内容を踏まえて考えると、合理性のない権限の濫用といわざるを得ません。
私たちは、学校における教育課程の創造的実践を花開かせ、多様な子どもたちにあった、よりゆたかな教育をしたいという学校・教員の創意工夫を支援する法制度、政策、教育行政、学校運営のあり方を心より希求するものです。
2024年3月26日
包括的性教育推進法の制定をめざすネットワーク事務局